人的資本投資ストーリー構築のススメ
この連載では、優れた人的資本投資を実践する企業事例を確認してきた。いずれも経営戦略と結びついた、魅力的で独自性の高い人的資本投資ストーリーを構築している点が特徴的である。最終回は、人的資本投資ストーリーを描くことのメリットを確認した上で、経営戦略に沿った人的資本投資の実践に向けたストーリー構築のヒントを考察する。また自社の人事施策を経営戦略と結びつけることは、資本市場や労働市場からも期待されており、情報発信のポイントについても確認したい。
人的資本投資ストーリー構築の4つのメリット
人的資本投資ストーリー構築のメリットを改めて整理したい。人的資本投資ストーリー構築の過程で、経営戦略に対する理解を深め、自社に必要な人材戦略と人的資本投資の内容を検討することによって、以下のようなメリットを得られる。
①経営戦略の明確化
経営戦略を明確化することは、人的資本投資においても重要である。明確な経営戦略がなければ、どのような人材が必要になるかが定まらないためである。企業は経営戦略とともに一貫性のある人的資本投資ストーリーを構築する過程で、戦略達成に必要な人材面の要素を明確化することができる。第4回で取り上げたすかいらーくホールディングス(HD)では、従業員満足度向上を経営戦略上の重要施策として位置づけている。人材の確保状況が経営戦略の実現を大きく左右するため、経営戦略の一部として人材に関する課題に取り組む必要が認識されており、それに沿って経営陣の意思決定が行われている。このプロセスにより、組織全体が従業員満足度向上に向けて、統一された方向性を持つことが可能となっている。
②人材採用・育成手段の具体化
人的資本投資ストーリーを構築する過程では、人材のスキルや知識の向上を狙った育成プログラムが具体化される。第2回で取り上げた山陰合同銀行は「スキル可視化」に取り組み、従業員のスキルや強みをデータベース化し、育成につなげている。これにより、企業の戦略実現に向けた組織のケイパビリティを獲得するとともに、従業員の特性を踏まえた戦略的な配置を行うことも可能となっている。また、個人に合わせた育成施策の提供も可能である。第3回で取り上げたダイキン工業では、「ダイキン情報技術大学」を設立し、IT技術者を内部育成するための社内アカデミーを導入している。このように、各企業とも人的資本投資ストーリーを構築する中で、独自のアプローチで育成プログラムを生み出し、それを起点に自社人材の持つ能力を最大限に引き出し、組織の成長につなげることに成功している。これも大きなメリットと言える。
③従業員のモチベーション向上と定着率の改善
企業内で人的資本投資ストーリーがしっかりと共有されると、従業員は自分の役割やキャリアパスをより明確に理解することが可能となる。この理解が促進されることで、従業員のモチベーションは向上し、企業への貢献意欲が高まる。第5回で取り上げたサイバーエージェントはその好例である。同社ではやりがいを引き出すことを重視し、従業員が自分の強みや興味を基にキャリアを選択できる環境を提供している。この制度により、従業員が自身のキャリアを積極的に設計できるようになっており、結果として高いエンゲージメントにつなげている。従業員の自主性を重視することで、従業員が新たな挑戦への意欲を持つことを可能にし、企業全体の活力を高めている。
④社外のステークホルダーからの評価
経営戦略と結びついた明確な人的資本投資ストーリーを構築することで、企業は資本市場や労働市場からの評価を高めることができる。経営戦略の実現を裏付ける人的資本投資の方向性が明確に示されることによって、企業に対する信頼性が向上し、投資家や求職者からの関心を集めることが可能となる。
今回取り上げた企業の多くが、長期的な人材確保の観点で外部の機関投資家から評価を得ることに成功している。このような情報提供が、企業への信頼を構築し、結果として新たな投資資金を呼び込むとともに、優秀な人材の採用につながる。こうして、企業のさらなる成長を支える基盤が形成される。
経営戦略を深く読み解き、自社ならではの人的資本投資ストーリー構築を
自社の人的資本投資を効果的に展開するためには、以下のステップが重要である(図表1)。このプロセスを踏むことで、企業の経営戦略と結びついた人材戦略を実現し、組織全体の競争力を高めることが可能となる(各ステップの詳細は第1回を参照)。
図表1 人的資本投資ストーリー構築の4ステップ

人的資本投資ストーリーは、自社の経営戦略に基づくため、その内容が独自性・固有性を持つ。それぞれの企業には独自の経営戦略があり、それに応じた独自の人的資本投資ストーリーが求められる。このようなストーリーを効果的に社内に浸透させ、資本市場や労働市場にも積極的に示すことが、企業価値の向上につながる。
資本市場に対しては、経営戦略が画餅とならないように、人材に対して具体的にどのような投資を行い、将来的な企業収益獲得につなげていくのかをストーリーとして示すことが欠かせない。それによって経営戦略と人的資本戦略の実行・成功の蓋然性の高さを示すことができれば、投資家の信頼を得られるだろう。
また労働市場に対しては、人的資本投資ストーリーの発信を通じて、自社が求める人材像を明確かつ魅力的に提示することができれば、求職者からの評価が高まり、採用コスト削減や定着率の向上も図れる。人手不足感の高まる現在の労働市場においては、労働調達コストを引き下げる取り組みはますます重要になっている。
人的資本投資ストーリーの構築に向けて、人事部門には、まず自社の経営戦略を深く理解し、それに基づいて長期的視点を持った人的資本投資ストーリーと、それに沿った施策を検討、実施することが求められる。すかいらーくHDの場合、顧客満足度(CS)向上を通じた成長実現のためには「従業員満足度の向上」が欠かせないものとして捉えており、その点に外食企業としての独自性が表れていると言えよう。流行の人事施策をそのまま取り入れるのではなく、あくまで自社の戦略に合致する施策を自ら創出することが肝要である。このように人的資本投資ストーリーが明確化されているからこそ、山陰合同銀行のような独自のアセスメントプログラムによるスキル可視化、ダイキン工業の「ダイキン情報技術大学」のような育成プログラム、サイバーエージェントのような自律的キャリア形成支援など、各社とも自社にふさわしい人事施策を生み出せている。こうしたアプローチが、結果的に効果的な人的資本投資を実現する道筋となる。
この連載で紹介した企業のように、自社の経営戦略に向き合い、それに沿った人的資本投資を行うことで、経営課題を解消し企業の成長を図ることが重要である。