人的資本経営

人的資本へのワイズ・インベスティングのすすめ

INSIGHT

2024年度の春闘では、多くの企業が人手不足を意識した結果、ベースアップを中心とした高い賃上げ率が実現された。企業の持続的な成長の観点から人的資本への投資の在り方について考えたい。具体的には、企業価値向上につながる人的資本投資を「人的資本へのワイズ・インベスティング(=賢い投資)」と定義し、具体的な事例なども踏まえ、その実現に向けた方向性を示す。

目次

労働集約業種が目指すべき人的資本投資の方向性

図1は、業種ごとの売上高営業利益率と売上高人件費率を2軸にプロットしたものだ。両指標の水準は業種ごとに大きくばらついているが、とくに注目すべきは左上に位置する「コンピュータ・周辺機器」「ホテル・レストラン・レジャー」「パーソナルケア用品」「大規模小売り」である。低い売上高営業利益率と高い売上高人件費率の組み合わせは、これらの業種における労働集約的なビジネスモデルを示していると考えられる。

図1 売上高人件費率と売上高利益率による業種別特性の可視化(2023年3月期)

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出所:Bloombergを基に三菱総合研究所作成

労働集約的なビジネスでは、付加価値創出に多くの労働投入が必要となる。労働需給がタイト化する中では、労働市場において競争力のある賃金が求められるため、次年度以降も2024年度のようなベースアップの流れが継続する場合、人件費率の高い業種においては労働コストの上昇が企業利益を圧迫することが予想される。上昇した労働コストを、企業側の営業利益を減らすことで対応する場合は、いずれ営業損益が赤字となることで、賃金上昇が止まる形となる。持続的な労働投入を可能にするには単純な賃上げだけではなく、人的資本への投資を通じた企業全体の生産性の向上を伴う必要がある。

人的資本を生産性向上につなげる3つの打ち手

企業として今後取るべきアクションは、当面の労働力確保と中長期の生産性の向上の両立である。当面の労働力確保は賃上げで対応するとして、企業全体として労働力依存を抑え、中長期の生産性の向上を図ることが、労働力確保のための原資を生み出すことにつながる。具体的には以下の3つの打ち手が有効だろう(図2)。冒頭でも述べたように、本インサイトでは、企業価値向上につながる人的資本投資を「人的資本へのワイズ・インベスティング(=賢い投資)」と定義している。これら3つの打ち手を連動させることが、人的資本へのワイズ・インベスティングが実現する条件となる。

①経営戦略の見直し

事業環境の変化に合わせたタイムリーな経営戦略の立案と実行。タイト化する人材需給の中で、労働力依存から脱するためにどのようなビジネスプロセス変革を構想できるかが、生産性向上への取り組みの成否を決定づける。

②物的資本への投資

ビジネスプロセスの変革の構想の下で設備やデジタル化などへの投資を実行。従業員の労働を代替する/従業員が効率的に付加価値創出できる仕組みをいかに構築できるかがポイントとなる。

③人的資本への投資

ビジネスプロセスの変革と物的資本投資を実現する人材への投資を実行。ここでは、変革を担うリーダーの確保・育成や、将来必要となるスキルの獲得を促す従業員向けトレーニングなどが重要な要素となろう。

図2 人的資本のワイズ・インベスティングに向けた流れ

三菱総合研究所作成

すかいらーくHDに見るワイズ・インベスティングの実践

上述の3つの打ち手を通じてワイズ・インベスティングを実現している事例として、すかいらーくホールディングスの取り組みを紹介する。同社では、2021年にレストランホールにロボットやセルフレジを導入するなど、大胆な店舗DX施策を展開してきた。また、グループ内の複数業態で使える「すかいらーくアプリ」を展開、デジタルマーケティングにも積極的な投資を行っている。人件費の高騰が進む中、こうした取り組みを通じて人件費率を37.3%から33.1%へ引き下げ、営業赤字から営業利益率3.3%への黒字転換に成功している事実は注目に値する(2023年に4.38%、2024年には6.22%の賃金ベースアップを実施済み) 。

図3では、同社のDX施策を事例に、人的資本投資が企業業績へのインパクトを与えるパスを整理した。店舗DX施策では、3,000台のロボット導入時に、17名からなる「ロボットインストラクターチーム」を結成した。このチームの分析・改善活動の成果(配膳ロボットをはじめ店舗DX具体策など)が各店舗で導入され、その結果、店舗スタッフの生産性向上につながり、最終的な人件費率の抑制も実現している。また、副次的な効果として、店舗スタッフの業務負担が軽減されたことによるシニアスタッフ従業員の定着率向上や、業務の難易度の低下による外国人スタッフの活躍推進にもつながった。同社のさまざまなタレントが働きやすい職場づくりにも貢献している。

加えて、これらの一連の施策は同社がDXに積極的であるという企業イメージの醸成にもつながり、DXに興味がある新卒学生の採用拡大にもつながっている。「DX施策の実施→デジタル人材の獲得→DX化のさらなる進展」という好循環が実現している。

先述した3つの打ち手に照らせば、①経営戦略としての店舗DX化・デジタルマーケティング強化の決定、②配膳ロボットなどの設備投資やアプリケーション開発投資の実施、③店舗DX化後の店舗スタッフへの教育・訓練やデジタルマーケティング施策を立案する人材育成への投資、となるだろう。

図3 人的資本投資を通じたDX実現のパスを示す、すかいらーくホールディングスのロジックモデル

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三菱総合研究所作成

業種特性に則したワイズ・インベスティングを

すかいらーくホールディングスの事例から学ぶべきポイントは、賃上げの潮流を脅威ではなく企業変革の契機として捉え、上述の3つの打ち手を連動させ企業全体のビジネスプロセスの変革につなげていることである。人件費の増加が避けられないトレンドとなっている中で企業が考えるべきは、自らの業種特性を踏まえ、従業員がより付加価値の高い仕事に従事するための戦略と実現手段である。賃上げだけではなく、人的資本投資をより戦略的に行う「人的資本へのワイズ・インベスティング」が広がっていくことを期待したい。

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