~心理的安全性を「設計」し直すという発想~
長期的に事業環境を見通すことが困難な現代、いかなる組織でも程度の差はあれ外部環境に対する迅速な変化対応力が求められる傾向にある。このような中、「心理的安全性」は次世代リーダーの必須条件として語られている。だが、それは本当に万能なのか。近年の研究や現場の実感は、この定説に静かな疑問を投げかけている。本稿では、心理的安全性をめぐる通説を整理したうえで、なぜ今それを疑う必要があるのかを考察する。
はじめに
不確実性が高まる時代だと言われて久しい。地政学リスク、技術革新、規制変更、価値観の多様化など、事業を取り巻く前提条件は短期間で揺らぐようになった。こうした環境下で、リーダーに求められる資質として繰り返し強調されてきたのが「心理的安全性」である。部下が率直に意見を述べ、失敗を恐れずに挑戦できる環境をつくることが、変化対応力の源泉になるという考え方だ。
この考え方は、2010年代後半にGoogleが公表した「Project Aristotle」を契機に、広く知られるようになった。同プロジェクトでは、成果を上げるチームの共通要因として心理的安全性が最重要であると報告され、多くの企業がこれを手本とした(Google re:Work, “Project Aristotle”)。その後、心理的安全性は経営書や研修、メディアを通じて急速に普及し、いまや「良い組織には心理的安全性が必要である」という認識は、ほぼ常識となっている。
しかし、現場に目を向けると、別の光景も見えてくる。発言は増えたが議論が収束しない。会議は活発だが意思決定が遅い。挑戦を称賛するあまり、成果や責任の所在が曖昧になる。こうした声は、特定の企業や業界に限られたものではない。とくに中間管理職や事業責任者層から、「心理的安全性を高めよと言われるが、どこまでが適切なのか分からない」という戸惑いが聞かれるようになっている。
ここにあるのは、心理的安全性そのものへの反発ではない。むしろ、「正しいとされてきた処方箋を、そのまま適用してよいのか」という健全な疑問である。環境が変われば、有効な手段も変わる。不確実性が常態化した現在において、心理的安全性は本当に“高ければ高いほど良い”のか。この問いを立て直すことが、次世代リーダー論を再考する出発点となる。
「心理的安全性は万能」という思い込み
心理的安全性とは、「対人関係上のリスクをとっても罰せられないと信じられる状態」を指す概念である。提唱者であるエイミー・エドモンドソンは、医療現場や知識労働者の研究を通じて、発言や学習を促す基盤としてこの概念を定義した(Edmondson, 1999)。本来の心理的安全性は、チームが学習し、改善するための条件として位置づけられていた。
この概念が経営の世界で急速に広まった背景には、二つの要因がある。第一に、不確実性の高まりである。正解が分からない状況では、多様な意見を引き出すことが重要になる。そのため、発言を促す心理的安全性は、時代要請に合致した。第二に、GoogleのProject Aristotleの影響である。同プロジェクトは、成果の高いチームの条件を定量的に分析し、心理的安全性を最重要因子として提示した。この分かりやすい結論は、多くの企業に強いインパクトを与えた。
ただし、ここで注意すべき点がある。Project Aristotle自体は、心理的安全性を「唯一の要因」と断定したわけではない。また、研究対象は主として知識労働チームであり、業務の性質や成果指標は限定されていた。それにもかかわらず、実務の世界では「心理的安全性=成果向上の万能薬」という単純化が進んだ。この過程で、文脈や条件が抜け落ちた可能性は否定できない。
現場で生じている違和感は、まさにこの単純化に起因する。心理的安全性を高める施策として、否定しない、叱らない、自由に発言させる、といった行動が強調される。一方で、成果への責任、役割の明確化、判断の基準といった要素が後景に退くことがある。その結果、意見は出るが決まらない状態が生まれる。これは安全性が高まったというよりも、判断と責任の設計が不十分な状態である。
さらに重要なのは、仕事の性質が十分に考慮されていない点である。探索的な仕事、すなわち新規事業や研究開発の初期段階では、多様な試行錯誤が価値を生む。この場合、心理的安全性は確かに有効である。一方、品質や効率が求められるルーティン業務では、過度な議論や裁量の拡大が、かえって成果を下げる可能性がある。にもかかわらず、多くの議論では、この違いが明示されてこなかった。
心理的安全性が万能だという前提は、リーダーにとって思考停止を招きやすい。「安全な場をつくっているのに成果が出ない」という状況に直面したとき、問題の所在を見誤る恐れがある。本来問うべきは、安全性そのものではなく、それをどの仕事に、どの水準で適用しているかである。この視点を欠いたままでは、不確実性への対応力を高めるどころか、組織の判断力を弱めかねない。
データ・事例が示す「心理的安全性の限界」
心理的安全性が常に成果を高めるとは限らない。この点を実証的に示した研究が、近年、複数発表されている。その代表例が、Baer and Frese らの流れを引き継ぎ、心理的安全性に文脈依存性があることを示した組織行動研究である。
とくに注目されているのが、心理的安全性とパフォーマンスの関係を「逆U字型(inverted U-shaped)」として検証した研究である。Binyamin and Brender-Ilan(2018)は、複数組織の従業員データを分析し、心理的安全性が中程度の水準にある場合に最も高い職務遂行が観察され、高水準ではむしろ低下する傾向を示した。研究では、過度な安全性が「緊張感の低下」や「注意資源の分散」を引き起こす可能性が示唆されている。
この傾向は、業務の性質によってより顕著になる。ルーティン性が高く、品質や正確性が重視される業務では、判断基準の明確さと迅速な実行が成果に直結する。このような業務において、過剰な発言促進や裁量拡大は、作業効率や集中を損なう場合がある。実際、看護現場や小売店舗を対象とした研究でも、心理的安全性が高すぎるチームでは、標準手順の逸脱やパフォーマンスのばらつきが観察されている(Edmondson & Lei, 2014)。
重要なのは、これらの研究が「心理的安全性は不要である」と主張しているわけではない点である。むしろ、多くの研究が共通して示しているのは、心理的安全性は条件付きで機能する変数であるという事実である。とくに成果との関係を左右する要因として、「説明責任(accountability)」や「目標の明確さ」が繰り返し指摘されている。
たとえば、心理的安全性と集団的説明責任を同時に測定した研究では、安全性が高く、かつ成果への責任が明確なチームにおいて、最も高いパフォーマンスが確認されている。一方、安全性のみが高く、責任が弱い場合、成果は必ずしも向上しない(Newman et al., 2017)。これは、発言の自由と成果への緊張関係が、バランスとして設計されているかどうかが決定的であることを示している。
こうしたデータは、心理的安全性を「高めるか否か」という二択で捉える議論が不十分であることを示す。問うべきは水準であり、文脈であり、組み合わせである。不確実性の時代に必要なのは、万能の施策ではなく、状況適合的な設計であることが、実証研究からも裏付けられている。
なぜ「心理的安全性」が裏目に出るのか──構造から考える
心理的安全性が成果を高める場合と、そうでない場合が生じるのはなぜか。この問いに答えるには、個人の態度やリーダーの資質ではなく、仕事の構造と組織の設計に目を向ける必要がある。
第一の要因は、仕事の不確実性の違いである。探索的な仕事では、正解が存在しない。仮説検証を繰り返し、失敗から学ぶことが価値を生む。この状況では、発言抑制は学習機会の損失につながるため、心理的安全性は強く機能する。一方、実行型の仕事では、正解は既知であり、再現性と効率が重視される。この場合、重要なのは発言の多さではなく、判断の一貫性と実行の正確さである。
第二の要因は、責任構造である。心理的安全性は、「失敗しても非難されない」状態を意味するが、これは「成果に責任を負わなくてよい」こととは異なる。しかし、両者が混同されると、組織は緊張感を失う。成果に対する評価基準が曖昧なまま安全性だけが高まると、意思決定が先送りされやすくなる。誰もが発言できるが、誰も決めない状態である。
第三の要因は、リーダーの役割理解である。心理的安全性が強調される文脈では、リーダーは「支援者」や「聞き役」として描かれることが多い。しかし、不確実性下では、リーダーには「切り分け」と「モード転換」が求められる。いま扱っている課題は探索なのか、実行なのか。その判断を誤ると、安全性の設計も誤る。
この点を整理すると、心理的安全性が機能するか否かは、次の三点に集約される。
- 仕事は探索型か、実行型か
- 成果への説明責任は明確か
- リーダーが状況に応じて関与度を切り替えているか
これらが噛み合っている場合、心理的安全性は学習と成果を同時に促進する。噛み合っていない場合、安全性はむしろ判断力を鈍らせる。
不確実性の時代に求められるリーダー像は、「常に優しい存在」ではない。「常に厳しい存在」でもない。必要なのは、組織の状態を見極め、安全性と規律のバランスを設計する存在である。この構造理解を欠いたままでは、どれほど善意で心理的安全性を高めても、期待した成果にはつながらない。
次世代リーダーは何を設計し、何を始めるべきか
ここまで見てきたように、心理的安全性は高めればよい単一の変数ではない。仕事の性質、責任構造、リーダーの関与の仕方によって、その効果は大きく変わる。では、この示唆を、次世代リーダーはどのように実務に生かせばよいのか。本項では、考え方の整理と、具体的な行動に分けて論じる。
示唆① 仕事を「探索」と「実行」に仕分けよ
最初に行うべきは、扱っている仕事を二つに分けて捉えることである。
- 探索型の仕事
正解が分からず、仮説検証や学習が価値を生む仕事
(例:新規事業、業務改革、技術検討の初期段階) - 実行型の仕事
正解が既知で、再現性や品質、スピードが成果を左右する仕事
(例:量産工程、定常オペレーション、ルール化された業務)
心理的安全性が強く機能するのは前者である。一方、後者では、明確な基準、迅速な判断、役割の固定が成果を支える。にもかかわらず、多くの現場では、この二つが意識的に区別されていない。その結果、「すべての仕事で心理的安全性を最大化する」という誤った設計が生じる。
次世代リーダーに求められるのは、まずいま扱っている仕事はどちらかを明示することである。これだけで、会議の進め方、発言の求め方、介入の度合いは大きく変わる。
示唆② 心理的安全性と説明責任をセットで設計せよ
第二のポイントは、安全性と説明責任を同時に設計することである。既存研究が示すとおり、心理的安全性は、成果への責任が明確な場合に最も効果を発揮する。
ここでいう説明責任とは、厳罰主義ではない。以下の三点が共有されている状態を指す。
- 何が成果とされるのか
- 誰が最終判断を行うのか
- 結果に対して誰が振り返るのか
これらが曖昧なまま安全性だけが高まると、発言は増えても決定は遅れる。逆に、責任が明確であれば、安心して意見を出しつつ、最終的には決めきることができる。
【表】心理的安全性と成果の関係(概念整理)
| 心理的安全性 | 説明責任 | 起きやすい状態 |
|---|---|---|
| 低 | 低 | 沈黙、萎縮、学習停止 |
| 高 | 低 | 議論過多、決定遅延 |
| 低 | 高 | 緊張過多、疲弊 |
| 高 | 高 | 学習と成果の両立 |
※概念整理。出典:Edmondson & Lei(2014)、Newman et al.(2017)を基に筆者作成。
次世代リーダーの役割は、右下の状態を偶然に任せず、意図的につくることである。
示唆③ リーダー自身が「モード切替装置」になる
第三に重要なのは、リーダー自身の関与の仕方である。心理的安全性が語られる文脈では、リーダーは「聞く人」「支える人」として描かれがちである。しかし、それだけでは不十分である。
不確実性下のリーダーに求められるのは、
- いまは発散の時間なのか
- それとも収束と決断の時間なのか
を明確に宣言し、切り替える役割である。探索フェーズでは、結論を急がず、多様な視点を歓迎する。一方、実行フェーズに入ったら、意見を絞り、判断を下す。この切り替えを曖昧にすると、心理的安全性は「終わらない議論」を生む装置になる。
本稿のまとめ──次世代リーダーへの実践的メッセージ
ここまで述べてきた議論は、心理的安全性を「否定」するためのものではない。むしろ、部長候補や新任部長、事業責任者として、変革と成果の両立を求められている立場だからこそ、あらためて立ち止まって考えてほしい論点である。
現場では、挑戦を促せば規律が揺らぎ、成果を求めれば発言が減る。そうした板挟みのなかで、「心理的安全性を高めよ」というメッセージが、かえって判断を難しくしている場面も少なくないだろう。本稿で確認してきたのは、心理的安全性そのものではなく、それをどの仕事に、どの水準で、どの責任構造と組み合わせるかが問われている、という点である。
そのうえで、日々のマネジメントの中で比較的取り入れやすい実践を、以下に整理する。
実践① 会議の前提を一言で共有する
「この議題はいま探索か、実行か。今日はどちらのモードか」
この一言を添えるだけで、発言の期待値と意思決定の重さが揃う。
実践② 一つの仕事に最終判断者を明確に置く
自由に意見を出せる状態と、誰が決めるのかが分かっている状態は両立できる。決定の所在を曖昧にしないことが、安全な議論を支える。
実践③ 1on1で「安全」と「決断」を分けて問う
「意見を出しにくくしている不安は何か」
「一方で、決めきれていない理由は何か」
二つを分けて問うことで、対話は具体性を持つ。
実践④ 心理的安全性を目的にしない
安全性そのものを評価項目に置くのではなく、学習や成果にどう結びついたかという結果と併せて振り返る。たとえば、発言が増えたかではなく、その発言が意思決定の質や実行の改善につながったかを確認する。心理的安全性は目的ではなく、成果に至るプロセスを支えるための手段として扱う。
不確実性の時代に、次世代リーダーに求められるのは、正解を示し続けることではない。前提を見直し、仕事の性質を切り分け、安全と規律のバランスを設計することである。心理的安全性は、組織が学び続けるために不可欠な概念であり、その力をどう生かすかが、いま改めて問われている。
参考文献
- Edmondson, A. (1999). Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams. Administrative Science Quarterly, Vol.44, No.2.
https://journals.sagepub.com/doi/10.2307/2666999 - Google re:Work. Project Aristotle.
https://rework.withgoogle.com/print/guides/5721312655835136/ - Newman, A., Donohue, R., & Eva, N. (2017). Psychological safety: A systematic review of the literature. Human Resource Management Review, 27(3).
https://doi.org/10.1016/j.hrmr.2017.01.001 - Binyamin, G., & Brender-Ilan, Y. (2018). Leaders’ language and employee proactivity: Enhancing psychological safety and empowerment. Journal of Leadership & Organizational Studies, 25(3).
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/1548051818763199 - Edmondson, A. C., & Lei, Z. (2014). Psychological safety: The history, renaissance, and future of an interpersonal construct. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 1.
https://www.annualreviews.org/doi/10.1146/annurev-orgpsych-031413-091305
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コンサルタント
過去30年間にわたり、社会保障政策および人的資源管理に関する100を超えるプロジェクトを企画・主導。そこで培った経験と知見をベースに、誰もが自己実現と豊かさを享受できる社会の実現をめざして、人財分野における情報発信や提言、ソリューション開発を進めています。